中央区

2023年02月19日

弘法大師(中央区清川) 66番札所 

66番札所の本尊は個人所有の弘法大師像、家の中に祀られていたようです。
「佛法遥かに非らず」に記載されている住所を元に訪ねてみると、中央区清川にある清川大黒天に行き当たりました。
お参りに来られたご高齢の女性に、札所管理者様のお名前をお尋ねしたところ、知っているとのことでお話を聞くことができました。
昔は道の突き当り、現在の清川大黒天がある場所に管理者のお宅があり、向かって左側の少し奥まった所に大黒天が祀ってあったそうです。
大黒天は以前から参拝者が多かったこともあり、お堂を建て替える際に現在の位置に移ったとのお話でした。
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しかしながら先日、昔のゼンリン住宅地図でこの場所を確認したところ、聞いたお話とは位置関係が少し違っていまして、右側の住居表示がある建物に管理者のお名前があり、清川大黒天がある場所は駐車場となっていました。
現在は管理者様もお亡くなりになり、札所のことも本尊の行方も正確なことは分かりませんが、昔、この場所で管理者様が命に関わる仕事をしていたこと。
その日々の中で、弘法大師像に何を願ったのでしょうか。
お話をお聞きした女性が管理者様のことを「先生」と呼ばれていたことからも、地域で信頼されるお人柄だったと思われます。
出来る事ならば、お会いしてお話を聞いてみたかったです。

2023年2月訪問
福岡市中央区清川2丁目13-24



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2023年02月18日

立江地蔵大菩薩(旧市立こども病院裏地蔵尊) 13番札所 

13番札所は旧こども病院の裏道沿いにあり、病院敷地内に入り込むような形で存在していたことが分かりました。
現在、旧こども病院敷地はすべて更地になっていますので、供養をしたうえで完全に撤去されてしまったのか、どこかへ移動されたのかは不明です。
当初、13番札所の情報を得るためにネットで検索したところ、旧こども病院周辺に現在もお祀りしてあるいくつかのお地蔵様情報が出てきたため、この中のどれかだろうと思っていました。
念のため、昔のゼンリン住宅地図で確認したところ、道沿いでありながら病院敷地内に「地蔵尊」と書かれている区画があるのを見つけ、ネット情報以外の地蔵尊が存在したことが分かった次第です。
ゼンリン地図と現地の状況を突き合わせてみると、電信柱の横、金属製フェンスの辺りと思われます。
通りすがりの方にお尋ねしたところ、この方は約20年前に引っ越してこられたそうですが、「この道沿いに確かにありました」とのこと。
お世話をされていた方は、お亡くなりになられたり、ご不在だったりで詳しい情報は得られませんでした。
帰りに当仁公民館に寄り尋ねてみましたが、ここでも分かりませんでした。
何かご存じの方は情報をお寄せください。
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2023年2月訪問
福岡市中央区唐人町2丁目

◆2023年3月追記
2月の記事で記載した地蔵尊があった場所を訂正します。
白色の金属製フェンスの辺りと書きましたが、その後、この辺りを通る際に何人かの方にお尋ねしたところ、茶色の扉の左辺り、紅白ポールの内側だったことが分かりました。
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いつ頃なくなったのか、どのような地蔵尊だったのか、残念ながら詳細は分かりませんでしたが、昔この地に地蔵尊があったことを記憶している方は、少ないながらまだいらっしゃるようです。
犬の散歩ルートを変更してまで案内してくださった方、本当にありがとうございました。

◆2023年6月追記
奈良屋まちづくり協議会様からいただいた資料「福岡市の板碑(福岡市教育委員会文化財整備課 平成4年3月発行)」に「唐人町二丁目五 立江地蔵大菩薩」との記載があり、13番札所の正式名称が判明しました。



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延命地蔵菩薩(中央区今泉) 7番札所 

1月下旬「お寺めぐりの友」管理者様から第7番札所が再建されたとのご連絡をいただきました。
場所は今泉公園の前、今泉公園通りと名付けられた道沿いに可愛らしいサイズのお堂があります。
福岡市新四国八十八ヶ所でも姿を消していく札所が多い中、再建してくださった堂守様に心から感謝申し上げます。
このお堂が街の皆様に愛され、末永くこの地に残りますように。
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2023年2月訪問
福岡市中央区今泉1丁目


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2022年12月31日

五穀神社 25番札所 

好きなものは最後に食べる派です。
本当のお気に入りは人に教えたくないタイプです。
五穀神社は10月から福岡市新四国霊場巡りを始めて2番目に訪れていたのですが、2022年最後の記事になってしまいました。
本当はあまり人に知られたくない、つまり、物凄くお気に入りの札所です。
小さく薄暗いお堂ですが中に入ることができ、触れることが出来る、お抱え地蔵さまがいらっしゃいます。
私も抱きかかえてみました。
感想は敢えて書かないことにします。
どうぞ、お堂の中でお地蔵さまと向き合って静かな時を過ごしてみてください。
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地域の方々が大切に守られてきた場所です。
ご迷惑をお掛けしないようにお参りさせていただきましょう。
私も十分気を付けて、また伺いたいと思います。

2022年10月訪問
福岡市中央区地行3丁目


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2022年12月17日

親子地蔵(中央区荒戸) 58番札所 

「佛教遥かに非らず」では「井上精工(有)木材横」となっていますが、1984年ゼンリン住宅地図では荒戸1丁目3番地に(有)井上商工との記載があり、“商工”が正しいのではないかと思います。
現在はユニバース大濠というマンションが建っており、周辺を歩いてみましたが、お地蔵様はありませんでした。
道を挟んだ向かいにある店舗のご主人にお尋ねしたところ「あぁ、材木屋さんね」と、井上商工さんを記憶されており、場所は定かではないものの、確かに小さなお地蔵様があったことも教えていただきました。
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福岡市中央区荒戸1丁目3-21
2022年12月訪問

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2022年12月09日

延命福地蔵尊福慈童地蔵尊 26番札所 

家主の方にお話を聞くことができました。
昭和29年、病気のために小学校5年生だった弟さんが亡くなられたそうです。
葬儀に来てくれた同級生からのご香典を基に、弟さんの供養と平尾小学校の子供達の健康と幸せを願い、お父様が建てられたと仰っていました。
当時、家主の方は大学生で東京の大学に通われていました。
卒業まであと1年、福岡に帰省した際、友人と飲みに行く約束をされていたので、博多駅に着いた時にその旨をご実家に電話されました。
電話に出たお母様の様子に違和感を感じたため、友人との約束をキャンセルし実家に戻られたところ、弟さんが亡くなられていた事を知ったそうです。
弟さんの病気、亡くなられた事を知らせて、学業に支障が出る事を心配したのだろうと話しておられました。
お地蔵様は当初、敷地内の別の場所に祀られていたのですが、1974(昭和49)年頃、現在の場所に移されたそうです。
毎年8月24日には地蔵盆を行っており、その際は平尾小学校の子供達が手伝ってくれるそうですが、ここ数年はコロナのため、子供達には遠慮していただいているとのことです。
家主様にとっては悲しい思い出であるお地蔵様を祀られた経緯を、丁寧にお話をしていただき心より感謝しています。
これからもお身体に気を付けて、可愛いワンちゃんと長生きしていただきたいです。
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福岡市中央区浄水通2
2022年12月訪問

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2022年12月08日

清龍院 80番札所 

ここも無くなってしまった札所です。
「お寺めぐりの友」さまの説明文によると「(中)西公園港町5-10清龍院境内 本尊・弘法大師」「JAPANESE RELIGIONSによると宗教法人清龍院は福岡県福岡市中央区西公園5番9号で登記されているようだ」との記載があります。
また、「お寺メイト」「全国法人情報データベース」というサイトにも清龍院は西公園5-9で記載があり、2015年10月5日法人番号指定とありました。
清龍院があったとされる場所は西公園浴場がある通りです。
現在、中央区西公園5-10には太国屋ビルがあり、その隣にあるオリンピア西公園というマンションの番地が西公園5-8、周囲を歩いてみましたが西公園5-9という番地は見当たりません。
そこで、1984年のゼンリン住宅地図で調べてみました。
当時は太国屋ビルが5-11、その右隣の現在オリンピア西公園が建っている場所に、みすまるボーリング工業という会社があり、ここの番地が5-9、みすまるボーリング工業から西公園の方へ上がる奥隣りが清龍院でした。
番地が昔と変わっていることについては分かりませんが、清龍院があった場所は、現在、駐車場になっています。
ちなみに太国屋ビルは2023年に取り壊しが決まっているようです。
こうして少しづつ街の風景が変わっていくのですね。
最後に一つだけ。
国税庁の法人番号公表サイトというのがあります。
そこで清龍院の法人番号を検索したところ、「変更履歴 新規 平成27年10月5日、最終更新年月日 平成27年11月27日」との結果が出ました。
どこかで80番札所が続いてくれていたら…と思います。
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福岡市中央区西公園5
2022年12月訪問

◆2023年3月追記
情報は日々更新されるもの。
前は出て来なかった情報を最近見つけました。
「県営西公園再整備基本計画 令和3年9月 発行元・福岡県建築都市部公園街路課」
この資料がネット上に公開されており「西公園に関する主なできごと」という項目の中に

享保元年1716年 清龍院、筑前の国名嶋より移り荒戸清龍院と改める

との記載があり、西公園の前は東区名島にあったということが判明しました。
また、この情報を見つけた同日、県立図書館所蔵の書籍で分かったことは

大日本寺院總覧 掘由藏編 1966年12月10日発行
所在地・福岡市西港町 天台宗寺門派 等級5

との記載があり、現在の天台寺門宗のお寺であることが新たに分かりました。


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2022年11月21日

立帰天満宮大師堂 72番札所 

新たな疑問発生。
この霊場は次々に謎や疑問が出てきます。だからこそ面白いのですが。
「お寺めぐりの友」サイト記載の札所一覧では第72番札所は中央区西公園にある立帰天満宮境内の大師堂、ご本尊は百道地蔵尊となっているのですが、管理者さまから別途いただいた資料では、早良区西新の住所と世話役の方のお名前が記載されていました。
実際に行ってみると、大師堂の右横に祀られているご本尊と大師堂が建立された年、「福岡市新四国七十二番霊場」と記載されたものが建てられています。
これを見たときは、百道地蔵と具体的に書かれていないんだなぁ…西新から移されたのかなぁ…と、ぼんやりと考えていました。
西新の住所を訪ねてから記事にしようと思っていたところ、偶然にも福岡市博物館のブログを拝読し、ある疑問を持ちました。

福岡市博物館ブログ 2022年11月4日付
【別冊シーサイドももち】<012>百道地蔵に込められた祈り

さすが博物館の公式ブログ、物凄く詳しく書かれていますので興味を持たれた方は是非、ご一読することをお勧めいたします。
私のブログなんかで余計なことを書かない方がいいです。
この記事を読んで思ったのは、第72番札所として指定されている百道地蔵というのは、現在、博多区千代にある崇福寺に移されたお地蔵様ではないか…ということでした。
理由としては、1983年のゼンリン地図で調べた世話役の方の住所が、記事に掲載された地図中にある百道地蔵尊跡地のごく近くであったこと。
百道地蔵は海の家を営んでいた中村与八郎さんによって建てられたということですが、資料に記載されている世話役の方の名字も同じで「なかむら酒店前」との記載もあることから、海の家と何かしらの関係があるのではないか、と考えたわけです。
しかしながら一つだけ気になるのは、中村与八郎さんがお地蔵さまを建立したのが昭和18年、戦中ということです。
福岡市新四国八十八ヶ所霊場は戦前には既に存在していたので矛盾します。
色々と考えて私は、どちらかが正しくて、どちらかが間違いというよりも、どちらも正しいのではないか…と考えるようになりました。
以降に書くのは都合よく考えた推測ですのであしからず。
百道浜海水浴場での水難事故による犠牲者を弔うため、誰かが地蔵を建立し祀っていたが、何らかの理由で海運関係者の参拝が多かった立帰八幡宮に移し、その際札所も一緒に移った。
時は過ぎ昭和18年、中村与八郎氏が新たな百道地蔵を建立。
「佛法遥かに非らず」の著者は前のような事の次第を知らず、自身が調査した時点での百道地蔵情報を本に記載した。
という想像です。

ちなみに大師堂には下記のような石碑も建っていました。
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筑前筑後豊前豊後
西四国八十八ヶ所四十番 →国は旧字体
福岡西国三十三ヶ所十二番 →国と所は旧字体

これは「お寺めぐりの友」さまのサイトにも情報がありませんでしたので、新たな霊場出現かもしれませんね。
後日、崇福寺の百道地蔵さまも訪ねてみたいと思います。

福岡市中央区西公園10-8
2022年10月訪問

◆追記します
「72番札所 百道地蔵尊に関する追記」で別記事にしました。


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2022年11月13日

西町観音 61番札所 

私にとってはここが始まり。
福岡市新四国八十八ヶ所霊場に興味を持つ切っ掛けになった、中央区今川にある西町観音です。
阿弥陀如来・文殊菩薩・十一面観世音菩薩がお祀りされています。
事あるごとにお参りしていましたが、夜とか早朝とか、ほぼ暗い時間帯にしか訪れておらず、「福岡市新四国第六十一番霊場」と書かれた木札に全く気づいていませんでした。
篠栗の八十八ヶ所霊場は知ってるけど福岡市とか初耳…と思いながらネットで検索して出てきたのが「お寺めぐりの友」さまのサイトでした。
俄然興味が湧き、記載されている情報を基に札所巡りを開始。
本ブログを始めるにあたり、前記サイト管理者様に連絡したところ、貴重な参考資料をいただくことができました。心より感謝です。
しかしながら、ここで謎発生。
第六十一番札所は今川にある西町観音のはずですが、参考資料では所在地が西区姪浜で、ご本尊は個人が所有されている弘法大師さまとなっています。
この疑問点を解消すべく、10月17日開催の秋祭りに行ってみました。
お世話係をされていた、お姉さま三人組にお話を伺ったところ、「高齢の方が亡くなっているので詳しいことは分からないけど、自分達の年齢からして少なくとも60~65年以上は、このままここにあるし、ご本尊も現在の3尊で弘法大師さまは無いよ」との回答でした。
その後、参考資料にある姪浜の住所を訪ねてみましたが、現在、該当する家はありませんでした。
もしかしたら、ここだったのかな…という場所はありましたが今となっては不明です。
著者の方も出版にあたり十分に内容の見直しをされたと思いますので、あからさまな間違いはないと思うのですが、この相違は何なのでしょうか。
分かりません。
ちなみに、西町観音の阿弥陀如来は聖徳太子の御作との記載が境内の説明書きにありますが、早良区祖原の祖原薬師如来も聖徳太子一刀三礼の霊像となっております。
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福岡市中央区今川2丁目1-13
2022年10月訪問

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